筆者は村上春樹の小説はほとんど読んでいる。ちょっとしたファンだ。新刊が発売されると聞いて、楽しみに待っていた。発売日に購入して、1週間ほどで読了。
村上春樹独特の文章、比喩表現、現実世界を舞台に登場する異世界など、いつもの村上春樹ワールドを堪能できて、おもしろく読めた。
ただ、個人的には、前作の『街とその不確かな壁』や、その前の『騎士団長殺し』の方が面白いと感じた。もう読んだのは数年前なので、細かいことは覚えてないが、たぶん、『街とその不確かな壁』の田舎の図書館や、『騎士団長殺し』の郊外の深い木々に囲まれた一軒家、といった舞台で繰り広げられる物語の世界観が自分の好みだったのかもしれない。
『夏帆』は東京の武蔵境や埼玉が舞台で、なにか特別な好意を感じる場所でなかった。小説の舞台がどこかというのは個人的には重要だ。
また、『夏帆」はストーリーが比較的シンプルで、どちらかというと、村上春樹や小説の初心者が読みやすそうな印象を受けた。いつもより優しく語られている印象で、大人向けのおとぎ話のような。こういった語り口の方が好みの読者もいるかもしれない。
『街とその不確かな壁』や『騎士団長殺し』のほうが、よりストーリーに深さや複雑さがあったように思う(後述するとおり、『夏帆』にも深さや魅力はもちろんあるが)。
村上春樹の長編小説は、2つの物語が交互に展開する形式が主だが、『夏帆』も少し違った形ではあったが、物語が交互に展開した。
夏帆の現実世界があり、そこに夢(または現実と夢のあいだのような世界)が挟まり、一方で現実世界に非現実の事物(モーターサイクルの男やジャガー)が登場して、さらにそれらに影響を受けながら、夏帆が紡ぐ絵本の物語が展開され(夏帆の職業は絵本作家だ)、それがまた夏帆の現実世界に影響してくる。現実と非現実が混ざり、現実が非現実に、非現実が現実になる。おそらくはそこに読者が自身の現実世界を投影して、さらに重奏的に響く協奏曲になるのではないか。
そんなストーリーの重層性、リズム感みたいなものが『夏帆』の魅力ではないかと感じた。
注意:小説の内容のネタバレを含みます
もう1つ印象に残っているのは、夏帆の意思とは無関係に、物語が展開してくことだ。(筆者にはそのように写った)
武蔵境に引っ越すのも、ジャガーを殺すのも、夏帆の意思ではない。途中から夏帆は絵本を書く(絵本の物語が小説として展開する)が、それも夏帆が書いているというより、夏帆の身の回りで起こることに導かれながら、物語が勝手に動いていく。最後に実家で起こることも、何をやるかは、とぎやの主人に言われて、猫に導かれてやっている。
私たちは日常で、自分で何をするかを決めて、行動してると思っているが、はたしてほんとうにそうか?夏帆のように、身の回りで起こることだったり、(あるいはDNAレベルですでに決まっていること)、に導かれて、じつは自分の意思とは違うところで、行動をしてるのではないか。自由意志とはあるようでない。人生とはそういうものではないか。
そんなことを考えされられた。
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