スピノザの『エチカ』を読みたかったが、難解で予備知識なしに読むのは難しいと聞いていたので、一定の予備知識をを得るために読んだ。
とてもわかりやすく書かれており、高校レベルの国語力(と少しの歴史知識)があれば、誰でも読める本だと思った。スピノザ生涯や著者にまつわるエピソードなど、細かすぎると言えるほど詳しく書かれている。主著の『エチカ』だけでなく、著者が裏の主著と呼ぶ『神学・政治論』についても詳しく書かれているのが、他のスピノザ入門との違いとのことだ。
筆者はエチカを読むための事前準備がしたかっただけなので、スピノザの生涯や『神学・政治論』の解説は流し読んで、『エチカ』の解説部分だけ読んだ。
以下は、読書メモ。
『エチカ』の主な源流の1つにデカルトの哲学がある。
デカルトはありとあらゆることを疑って、それでも考える私は間違いなく存在していると思い至り、「我思う、ゆえに我あり」と結論した。でもそれは「精神としての私」に限った話で、そこから、「私の身体」や「私が認識する世界」も確実に存在するとは結論できない。
ここでデカルトは神を持ち出した。言い分はこうだ。
私は「完全なもの」について考えることができる。勘違いしたりする「不完全な」私が、「完全なもの」について考えられるのは、「完全なもの」自身が、私のなかに「完全なもの」という考えを置いていったからだ。なので、「完全なもの」は存在するし、私たちはそれを「神」と呼ぶ(そもそも、存分しなければ不完全だから、おかしい)。
そして、人を騙したら完全なものじゃなくなるから、神(完全なもの)は人を騙さない。そして、私の考えが完全と言える(例えば、1+1=2)なら、それは私が作ったものではなく、完全な神がつくったということだ。
このように考えることで、「私が認識する世界」も確実に存在することになる。ただ、この考えだと、すべて神ありきになる。例えば、1+1=2のような数学的真理も、それ自身が確実だから真理なのではなく、神がそう作ったから真理になる。(このような考えを、永遠真理創造説と呼ぶ)。また、この瞬間瞬間に変わっていく世界も、その瞬間瞬間に神が作っているから存在する。(このような考えを、連続創造説と呼ぶ)。デカルトが考える神は、ものすごく強い。
一方、スピノザは別の考え方をした。「考えるわたし」と、「それ以外(身体を含めた世界)」を切り分けなかった。神と世界が「実体とその様態」の関係にあると考えた。
以下、『エチカ』を理解するために重要と思われる4つのキーワード。実体、様態、属性、表現。
実体=自分自身のうちにあって、自分自身を通して考えれれるもの=神
様態=あり方・モード
(例えば、猫なら、神が猫のあり方をとった状態、言い換えれば猫モードの神)
属性=実体の本質を構成している、と知性がとらえるもののこと
(一般的には、何かに本質的に属する性質、それがその何かに属していないとその何かを「その何か」と同定できなくなってしまうような性質。デカルトは、精神的実体の特性を「思考」だけ、物理的実体の特性を「延長(空間的な広がり」だけと認めた。)
スピノザでは、神は、無数の属性からなる実体。でも、人間の知性でとらえられる属性は「思考」と「延長(空間的な広がり)」の2つだけ。
つまり、個物が、神のさまざまな属性を、ある決まった仕方で表現している。その個物が、精神的存在なら思考方面から見た神を、物理的存在なら延長方面から見た神を、それぞれ表現している、ということ。
表現=神と個物の関係は、画家と絵の関係に似てる。画家が絵を書かないわけにはいかないように、神は個物を存在させないわけにはいかない。それは、神が「その本質に存在が含まれている」もので、存在の力を本質として、個物を存在させる力として表現されている。
表現としての個物を生み出さない神はありえず、神なしにはその表現としての個物もありえない以上、神と個物は、表現を介して、表裏一体の関係にある。
他にもあるが、とりあえずここまで。
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